教えて君=「ググらない人々」について。

 mixiなどに特に顕著なのだけれど(もちろん他のコミュニティにもいっぱいあるのだけれども)調べずに物を聞く人達がとても多い。教えて君と呼ばれて彼らは忌み嫌われるのだけれども、何故彼らは「教えて君」なのか? 教えて君は如何にして、教えて君になったのか? という事をこの頃よく考える。ただ単に、教えて君達に「教えて下さい」というタイトルのトピックを立てるな、だとか、「ググれ」と、それこそ口を酸っぱくして言い続けても何故その言葉は通じないのか? 彼らに我々……つーか、非・教えて君の言葉が通じないのは何故か? ここを解決しない限り、問題は見えてこないのではないかと思っている。教えて下さい、だけのタイトルを付けたトピックを立て、googleで簡単な単語を入れるだけで一発で答えが出るような質問を繰り返す彼らは、注意されてもやはり同じ事を繰り返し、あまつさえ開き直って逆ギレする彼らの行動パターン形成は如何にして行われたのか? そこから検証しなければ解決の糸口は掴めないだろう、場当たり的に「ルール違反」コールをしていても無駄だろう、と常々思う。


 mixiのとあるコミュでワタクシが上記のような質問者に「何故皆に注意されるのか、どうしたらベストであったか自分で考えてみてください。答えは提示しません(自分で考えて出した結論でなければ血肉にならないから)」といった主旨の事を書いたところ、逆ギレされた事がある。曰く「時間がないのだ。ヒマじゃない。お前は俺の教師でも先輩でもない」という答え。質問者は回答してくれる人達のことを、先輩でも教師でもないと考えている。自動的に回答を出してくれる親切な人、それ以外は邪魔、面倒臭い人なのだ。
 なお、件の人物が、複数人に「教えて下さい」だけのタイトルを付けて、それこそ単語を一つ入れるだけで答えがgoogleで羅列されるような質問をするなと注意された際の回答が「ごめんなさい、このトピックは消した方がいいかも……で、質問の答えは?」というものだった。*1


 ワタクシの問いが適切でなかったとしても(実際、ワタクシ流の下手なユーモアを交えた為に不愉快に思ったのもあったろうし)件の教えて君は「答えをストレートに教えてくれる人=いい人」で、「注意する人=面倒臭い人」と、自覚の有無にかかわらず思っていたのだろう。実際の処は知らないが、結果として当人は逆ギレし、トピックは削除された。
 当人の言い訳はそれはもう素晴らしいもので「こちらは仕事中で時間がないのだ」。mixiなどで帰ってくるかどうかも解らない質問の答えを待つくらいなら、検索エンジンで単語を入れて調べる方が早かろう、其れ位教えて君の質問は単純だった。絵に例えれば……うーん、そうだな。「お絵描き用のソフトには何がありますか?」位だ。ホントそんなレベルのアバウトさ。


 はてなで質問者に回っている人で、質問慣れしている人なら上記の質問を挙げる際、これ位の事は考えるだろう。

  1. 自分の使用OS(MS Mac Linux……??)
  2. フリーか、シェアか。有料なら予算
  3. どのレベルの事をしたいのか。プロユース? アマチュア
  4. 必要な機能
  5. PCの必要スペック
  6. 用途。ドット絵描くならPhotoshopは贅沢すぎだし、3Dなら無意味。タブレットを使った画材の再現が欲しければオープンキャンパスPainter。それともベジェ曲線
  7. 使用感とオススメ度

 ぶっちゃけこれくらい挙げてくれないとアドヴァイスしようが無い。
 時間がなければ尚更、自分の中で効率良く質問をして、効率良い回答を手に入れなければいけない。


 これらの質問というのはテクニックでもあり、また能力の一つでもある。定型化されているという点でテクニックではあるが、回答者が答えやすい質問を整理する、という点に思考を至らせるには、例えば回答者としての経験と、経験から技術を導き出す能力が必要となる。経験から技術を直接的に導き出すのは簡単なので、Web慣れしている人ならば簡単に応用を利かせて「回答者に優しい=易しい質問」を作り上げることが出来る。彼らはいわゆる初心者では無い人だ。
 しかし、初心者でも応用力が豊かであったり、慎重であれば「回答者に優しい=易しい質問」を、殆ど無いか、比較的少ない経験で作り上げる事が出来る。応用力が豊かなら、他の場所での経験を生かして解りやすい質問を構築できるし、慎重であれば、注意を受けている人達を観察して場の暗黙のルールを学び取る事が出来る。


 じゃあ、出来ない人ってのは何なのか?
 あくまでもワタクシの類推、想像によるものなので、そう思って読んで欲しいが。

1.まず、場の暗黙のルールを学ぼうという姿勢がない。
 いわゆる空気が読めないという奴だが、もうちょっというと「行間を読めない」という奴だ。AをAとしてしか受け止めず、そのバックにある物を考えない。


2.他者への共感力が欠けている。
 1.とも関連するが、誰かがルール違反だと怒っていると「まあいいじゃないか、何でそんなに怒るんだ」などと言い出す人が割といるけれども、では何故そのルールが生まれたのかというところまでは考えていない。他者に対する共感力や想像力が欠けているのかもしれない。他人を殴って、殴られた人の訴える痛みがリアルに感じられない、というようなものじゃないかと思う。
 心理学の実験か何かで、人間は相手の顔が見えないと相手に与える痛みへの想像力が激減する事が解ってる。テキストであれば尚更、痛みが解らない。怒っていると書かれていても言葉だからその重みは解らない。


 ルール、モラル、マナーと呼ばれている物はただの決まり事ではなくて、そのバックに様々な(感情から現実に支障を来す実際的な問題まで)理由で、問題を防ぐ為に決められたものであり、そのルールをひっくり返す為には、そのルールのバックグラウンドをひっくり返すに足る重要な理由がなければならない。
 そこを深く考えずにルールを軽視する、というのは、結局想像力の欠如の結果なのだと思う。だから、他者を軽視する。


3.思考訓練に慣れてない。
 ちなみにこれがこのエントリ一番の本題だったりする。
 思考訓練を面倒だからと放棄してきたツケなんじゃねーの? というのがワタクシの見解。
 勿論様々なファクターがあるのだけれども、例えば検索エンジンを使わないのは、その存在を知らないから……って事はないだろう。知っていても使い方が解っていても使わないのは「解らない事は自分で調べる」というタスク(習慣)を自分の中で構築してこなかった所為だろう。
 解らない事はまず人に聞く、は、実はそんなに悪い事ではない。職場で、知りもしないのに勝手にやり方を見よう見まねでやって全然違いました、とか、やってはいけない事をやっていました、では困る。
 勿論前者と後者では質が違う。どう違うかというと、解らない言葉の辞書を引くのと、解らない仕事のやり方を調べるのと。前者は知識で、後者は方法。前者と後者は扱い方が違う。


 たまに「パソコン(インターネット)は魔法の箱だと思っているが、実は違う」という意見を聞く。私は、インターネットは或る意味では魔法の箱(箱ではないのだが)の様なものだと思う。魔法が何かという事にも拠るのだけれど(^x^;)
 無限に(実際は勿論有限だが、物の例え)情報の詰まった宝箱から情報を引っ張り出すには、実はテクニックがいる。それを解っていないと面倒なので使わなくなる。超初心者はそんな感じだ。(うちの叔母とかね。結局メールしかやらなくなる。人に聞くのさえ面倒というレベル。だからといって私の叔母が他力本願質問人間なのかというと、全然そんな事はない)
 PCは質問すれば教えてくれる魔法の箱、ではない。箱に手を突っ込んで中身を探らなければ、物は出てこない。いわばPCは、物凄く沢山の情報が詰まったリアルタイム辞書の様なものかな、と思う。勿論、辞書以外の要素も沢山あるのだけども、辞書的に使う時、最も多くの情報量を引き出せる。そして、それが一番効率良く情報を集められる。
 多分、彼らは思考訓練つーか、辞書を引く訓練をした事がないんだろう。辞書を引くのは時間がかかるから聞く。
 日常会話では、勿論直接聞いた方が早いです。
 しかしその感覚はネットでは通用しません。
 何故なら、ネットでは直接聞く方が時間がかかるからです。


 だから、ごめんなさい、教えて下さい。急いでいるのでなどと平然と書くのです。

*1:なお、文面は正確ではない。該当トピックは既にトピックの作成者によって削除されてしまったので、正確には検証出来ない。故にワタクシのこのエントリは、ワタクシという反・教えて君の立場から書かれているのであって、話半分に読むべきである事を念頭に置くこと。