恋の罪
恋の罪―短篇集 サド 植田 祐次 岩波書店 1996-03 by G-Tools |
大体サドは人物描写や心理描写がへたである。パターン化・類型化しすぎていて、大木こだまひびきじゃないが「こんなやつおらへんやろ〜」と思ってしまう。これはどの小説でも同じなのだが、善人はばかで悪人の悪事は稚拙だ。サドの放埒の限りを描いた様々な小説の面白さは、特に長編は人物描写よりはサドのぶっ飛んだ想像力の具現化にあるように思われる。正直筋立てはエピソードの羅列を繋げた部分が大きくて、あまり構成が巧いとは思えない。(まだ、『新ジュスチーヌ』や『アリーヌとヴァルクール』を読んでいないので何とも判断を下しがたいのだが)
『恋の罪』も人物描写や心理描写は相変わらず類型的なのだが、それでも短編だからなのか、行き届いた構成は見事。人物描写がアレなのでわりとに多用な話しに思えてしまうのが難なのだが(苦笑い)。尤も、同じ『恋の罪』収録の作品でも『悲惨物語』辺りは、蒸気の短編集に収録された作品とはやや毛色が異なって感じられる。
さて、サドは本人が余りにも有名になりすぎた為に(そして後世に名前が残った為に)その存在自体が突然変異的に描かれがちな人ではあるけれど、小説自体はサドにいたる前の(エログロ趣味とか、その後ゴシック小説にまで至る悲劇とか)流れに沿ったものである。いわば時代の結晶がサドだったのであって、例えて言うなら(変な喩えだが)稚児狂いと称された一休禅師が世間の坊主の堕落ぶりを攻撃したようなそんな感じ。「自分もやってんじゃん! でも其れがデフォでした」みたいな。南北朝〜室町においてはスルーされ、ロココ時代のフランスでは許容されなかった。そゆ事なのだと思います。