飲み屋にて

 何の因果かソーキそばを啜りつつ自由意志の話を振られたので、環境的素因(経験含む)とシュレディンガーのネコを絡めてひとくさりやりました。んでも結論でないよなあ、こんなの。
 例えば恋をして、好きな人を見てずきずき心臓が高鳴るのはラブドーパミンという脳内物質の作用ですし、喉が渇いてコーラを買うという選択肢を選ぶのは、気温や体の水分を欲する度合いや、コーラの味覚に対する評価や財布の中身に起因するところが大きいわけで。つまり、全体の流れは出来ていて、それにのるかそるか、そこの問題だと思うのです。自由意志がそこでどの程度動いてるかは卵とニワトリどちらが先かっていう事のような気がします。
 正直あまり自由意志という主題には興味が無くて、寧ろ独我論のほうが自分的テーマには近いかも知れません。